OSSだろうが商用プロダクトだろうがドキュメントの整備・充実はユーザベースの拡大に
必要不可欠。
「ソースコードを公開しているんだからソースコードを読めば全てわかる」はユーザベース
を拡大させたいのならもっての他。
ソースコードは作成者の設計思想に基づいて構築されたモノであり、全く同じ設計思想を
もつ人間が仮にいるとすればその人には簡単に読み解けるかもしれないが全く同じ設計
思想をもつ人間がいるはずもなく、コードの規模が大きくなればなるほど、その構造が
複雑になればなるほど、全体を読み解くのは作成者以外にとって困難である。
他人の書いたソースコードを読み解くのが趣味のマニアックな人種を除けば、基本的に
他人の書いたコードを読み解くのは苦痛。そのソースコードを読み解くのが目標ではなく
他に実現すべき目標がある場合、尚更...苦痛であり、時間の浪費となる。
大抵の人間は"ソースコードを読む"ことよりも"自分に必要な事柄について記載された文書を
捜す"ことを選択し、ドキュメントの少ないプロダクトよりもドキュメントが整備され充実している
プロダクトを選択する。商業ベースではそれが更に顕著。
ドキュメントを読めば対象のプロダクトの挙動が全て手に取るようにわかることが大抵の
人間の求めるところであり、大抵の人間は「ソースコードには手を出したくない」と思っている。
大抵の人間の求めるところを理解した上で「ソースコードを公開しているんだから...」という人間
がいるのであれば、その人間には何をいっても無駄である。
その人間が関与するプロダクトがユーザベースを拡大するのはかなり難しいと言わざるをえない。
文書推敲中...。
#個人的には必要あるいは自分の興味がなければ、ソースコードを読むことはない。
#他人の書いたソースコードに興味が湧いた場合でも自分と根本の設計思想が異なる
#と感じた場合、大抵それ以上深追いはせず早々に読むのを止める。
#自分はドキュメントが整備されているにこしたことはないと思う質である。
#
#大抵の人間の求めるところをどこまで勘案するかはドキュメントを作る側の匙加減。
メモメモφ。